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マネックス証券は、オンライン証券業界ランキングで口座数3位の大手です。インターネット株取引専業の会社として1999年4月に設立されました。創業者は、当時35歳だった松本大(まつもと・おおき)氏。松本氏個人とソニーとの折半出資での発足でした。1999年10月に日本で株式の売買委託手数料が完全自由化されると、マネックスは安い手数料と便利さを武器に成長。対面販売の証券会社に匹敵するほどの存在になりました。

創業者・松本大氏

松本大氏

マネックス創業者の松本大氏は、金融業界で華麗な経歴を持つ人物でした。20代のころから外資系証券会社でデリバティブのトレーダーとして稼ぎまくり、米ゴールドマン・サックスの米国本社の幹部(パートナー)に史上最年少で就任。世界一流の金融マンとして実績を重ねていました。以下、松本氏の経歴・プロフィールを紹介します。

創業までのプロフィール

両親は講談社の社員

松本氏は埼玉県浦和市の出身(1963年生まれ)。両親はともに講談社に勤務していた。父親は東大出身のエリートだったが、出世に興味がなかったらしく、ずっと平社員だったという。

エリート校「開成」の中学・高校を経て、東大法学部

子供のころはやんちゃ坊主で、私立小学校を2年生で退学させられ、公立小学校に転校した。しかし、学業の成績は良く、エリート校として有名な開成中学、開成高校へと進学した。

東京大学法学部に入学。大学では自主的に留年をして5年在席した。学生時代は金融にはあまり詳しくなかったという。

名門ソロモンへ新卒入社。その後、王者ゴールドマンへ転職

1987年4月に東大を卒業。米国の名門証券ソロモン・ブラザーズの日本法人「ソロモン・ブラザーズ証券」に新卒で入社する。ソロモンは当時、世界最強の投資銀行の一つと見られていた。

ソロモンに就職したのは「金融は業績の良し悪しの周期が短く、動きが激しいので仕事が面白いだろう、どうせ行くなら一番強そうなところが勉強になる」と思ったからだという。

日本人初のデリバティブ部門

ソロモンではすぐに頭角を現す。ニューヨーク本社での新人研修試験では、中途採用組のMBAを向こうにダントツの成績を取ったと伝えられている。日本人で初めて、デリバティブ部門で仕事をすることになった。

ゴールドマンの債券取引で活躍

1990年に「ゴールドマン・サックス証券」へ転職した。米ゴールドマン・サックスの日本支店である。ゴールドマンでもトレーダーとして活躍。とりわけ債券取引で名をとどろかせた。

また、ゴールドマンはデリバティブの分野では後発組だったが、松本氏は社内にデリバティブの新しいチームを組織。若い人材を集めて、数式を駆使した日本のデリバティブ運用を始めた。

史上最年少でパートナーに

30歳のとき、「ウォール街の栄誉」とされるゴールドマンのパートナーに抜てきされた。史上最年少記録といわれた。創業者を除けば非英語圏では第一号だった。

パートナーとは、日本語に訳すと「共同所有者兼共同経営者」。経営の意思決定に加わる重要メンバーである。出資者としいう位置づけになる。

ソロモンにいた伝説のトレーダー、明神茂(みょうじん・しげる)氏からも祝福の電話をもらったという。その後も、日本で機関投資家向け債券投資、デリバティブ投資で実績を重ねた。

「プロジェクト・ビッグバン」

1997年4月、松本氏はゴールドマンの社内に「プロジェクト・ビッグバン」を発足させた。日本の金融制度の抜本的な自由化(ビッグバン)に対応した新規事業を立ち上げるというプロジェクトだった。自ら発案し、ニューヨーク本社にかけあって、実現にこぎつけた。トレーダーの職務からは退いた。

破産債権ビジネス

その半年後の1997年11月、日本の金融界に激震が訪れる。北海道拓殖銀行、山一證券などが相次いで経営破たんしたのだ。これを受けて、松本氏はプロジェクト・ビッグバンの一環として、「破産債権ビジネス」に乗り出すことになった。当時、日本にはまだ破産債権市場がないような状態だったが、その先駆けになるべく事業化に着手した。

個人向けオンライン株取引

その次に立ち上げようとしたのが、インターネットを使った個人向けオンライン株取引だ。ところが、この案はゴールドマンの経営陣に嫌われた。「個人を相手にした株式のブローカー業務は、ゴールドマンがやるべき仕事ではない」とのことだった。

IPOを目前に辞任

しかし、松本氏には、ネット証券取引の将来性に対する強い確信があった。そこで、会社を頼らずに自分を創業する決意をした。1998年10月、ゴールドマンのジョン・コーザイン会長に辞意を伝えた。

ゴールドマンはこの半年後の1999年5月に自社の株式公開(IPO)を控えていた。松本氏はパートナーだったため、株式上場によって巨額の報酬が得られるはずだった。その金額は数十億円とも言われる。しかし、松本氏はそれまで待っていたら、新しいオンライン証券市場での競争に出遅れるという危機感を抱いた。こうした経緯から、松本氏は後に「億万長者の地位を一度棄てた男」と呼ばれるようになる。

億万長者の地位を一度棄てた男

1998年11月、松本氏はゴールドマンとは顧問契約の形となり、マネックス創業へ奔走し始めた。

<松本大氏の略歴・年表>
1963年12月19日 埼玉県浦和市に生まれる
1982年3月 開成高を卒業
1987年3月 東京大学法学部卒業
1987年4月 ソロモン・ブラザーズ・アジア証券入社
1994年11月 米国ゴールドマン・サックス・グループのゼネラルパートナー就任
日本法人(ゴールドマン・サックス証券)の常務就任
1999年4月 株式会社マネックス証券を設立。社長に就任。
2004年8月 マネックス・ビーンズ・ホールディングス社長を兼務
2014年9月 テレビ東京のアナウンサー、大江麻理子と再婚

ソニーと組んだ経緯

折半出資

マネックス証券の創業時の最大のポイントは、ソニーと共同で設立されたことだ。資本金5000万円を、松本氏個人とソニーで折半出資した。

個人投資家が重視する「知名度」

いくら松本氏が金融界の実力派エリートだったとはいえ、そのバックグラウンドは一般個人には通用しない。機関投資家が相手なら、ゴールドマンサックスのパートナーだったという経歴が生かせるが、個人投資家に支持されるには「知名度」や「信用力」が必要になる。ソニーとの提携は大きなプラスとなった。

出井伸之社長と銀座で会食

松本氏はもともとソニーとつながりがあったわけではない。知人の紹介で、ソニーの出井伸之社長(当時)と出会ったことで、提携の話が急に浮上したという。

銀座への呼び出し電話

ゴールドマンに辞表を提出してから10日くらい後の1998年11月のある夜。松本氏の知り合いの経済人が東京・銀座で、出井氏と食事をしていた。その席で「面白い人間がいる」という話になり、突然、松本氏が携帯電話で呼び出された。

保険に続く金融事業

その席で、インターネット証券の計画を説明すると、出井氏は強い関心を示した。このころソニーはすでに自前の生命保険会社「ソニー生命」を成功させていた。1998年にはソニー損保会社も設立した。そして、保険以外の他の金融分野への進出を狙っていた。出井氏は最後に「ちゃんと検討します」と言い残して席を立った。後日連絡が入って正式にゴーサインが出され、実務レベルの話が進んでいったという。

ソニーから非常勤役員

ソニーなら、一般消費者に対するブランド力は抜群だ。松本氏は「ソニーなら金融界にしがらみがなく、新しいビジネスを展開しやすい」と考えたという。 社長(代表取締役)には、松本氏が就任した。非常勤役員として、ソニー常務の堀籠俊生(ほりごめ・すのぶ)氏と、ソニー子会社「ソネット」社長の山本泉二(やまもと。せんじ)氏を迎えた。

「生協みたいな証券会社」へ

松本氏がマネックスで目指したのは「個人の利益を代弁する『生協』みたいなイメージの証券会社」だった。とはいえ、日本のオンライン証券市場の競争は激しかった。

外資や国内大手との競争

オンライン株取引で先行する米国からは、最大手チャールズシュワブが東京海上と組んで参入してきた。さらに、Eトレードがソフトバンク、DLJが住友銀行と提携し、日本に参入してきた。迎え撃つ日本側でも、野村證券など既存の證券大手が続々とネット取引に進出した。

セゾン証券を買収(2001年)

こうしたなか、マネックスは2001年、クレジットカード大手のクレディセゾン系のネット専業証券、セゾン証券を買収した。これによって、取引口座数が15万を超え、ネット証券口座数では野村、大和に次いで国内第3位となった。

日興ビーンズ証券との合併(2005年)

さらに、2004年8月、日興コーディアルグループ系のネット専業、日興ビーンズ証券との経営統合を果たす。2005年5月に社名を「マネックス・ビーンズ証券(MB証券)」と変更した。

イー・トレードの対抗軸に

このころ、ソフトバンク出身の北尾吉孝氏率いる「イー・トレード(イートレ)証券」が口座数を急速に伸ばしており、マネックス・日興ビーンズ連合の誕生は、これに対抗する狙いがあった。 この合併が成功したことで、マネックスはネット証券業界での生き残りにめどを付けたと言われている。



マネックス証券の松本大氏