なぜ、FPより投資顧問なのか。

上述の通り、最近は日本における株式投資の相談相手としては、「FPより投資顧問」というのがトレンドになっている。その理由は、投資顧問のほうがおおむね株に関して専門性が高い傾向があるからだ。FPは一つの分野に精通するよりも、総合的な知識を追及する傾向がある。それは、日本のFPの発展の歴史とも関係している。以下、詳述する。

FPより投資顧問

まず、FPは投資・保険・税務など幅広い金融情報サービスの提供や家計の財務コンサルティングを行う存在だ。とはいえ、日本の場合、特定の証券会社などに所属していることが多い。

証券会社のFP作戦

国内証券各社は1990年代からFPの育成に力を入れ始めた。金融業界の大規模な規制緩和である「日本版ビッグバン」に備えるためだった。規制撤廃で業界の垣根がなくなるため、証券会社としては銀行、生保など他業態との顧客獲得競争に勝ち残る必要があった。現場の証券営業マンには、広範な金融知識と資産運用について助言できる能力が求められるようになったのだ。

資格

そもそもFPの仕事は、個人顧客の収入や資産・負債などのデータを基に、生活設計プランの要望を聞きながら、理想的なライフスタイルを提案することだ。日本FP協会(JAFP)などが資格試験や研修を実施してきた。

新日本証券が30歳の社員に

証券各社は1990年代半ばにFP育成のための研修制度を充実させた。例えば、みずほ証券(当時:新日本証券)はJAFPが認定する研修をいち早く取り入れた。1997年10月には、従来の課長クラスから30歳前後の中堅社員に対象を拡大した。

自前の研修制度

SMBC日興証券(当時:日興証券)も、自前の研修制度を設けた。1997年6月からは全国支店に約4000人いる証券レディー全員を対象に、基礎的な金融知識を習得する初級FP講座を新設した。

銀行、生保が先行

1990年代前半まで、FPの育成では銀行、生保が先行し、証券会社は後れをとっていた。しかし、、顧客の要望が多様化・高度化するなかで、株式にとどまらない「総合金融アドバイザー」としての能力向上が必須になったのだ。

専門性の不足

1990年代末以降は、実際に金融ビッグバンが始まったことでFP資格をとる人がさらに増えた。しかし、その大半は特定の金融機関に所属していた。残念ながら「独立系」のFPは十分に育たなかった。これが、株式に関する専門性の欠如を生み、今日に至っている。

投資顧問の黄金期

2020年代になると、FPの全盛時代が終焉を迎え、投資顧問の黄金期が到来した。その時代を流れを見逃さなかった男がいる。上記でも触れた有宗良治氏だ。

有宗良治氏のスナップアップ投資顧問

有宗氏は大和証券や外資系証券での勤務を経て、2010年代前半には商品先物取引会社「フジフューチャーズ」の社長を務めていた。しかし、株に特化した投資顧問こそが、これからの日本に必要だとの確信に至った。そして、ストックジャパンという投資会社の経営権を握り、新しい個人向けサービス「スナップアップ投資顧問」を立ち上げた。

銘柄発掘力を強化し、インベストジャパンに

残念ながら有宗氏は志半ばにして急逝。そこで、野村證券時代から日本株の専門家として有名だった河端哲朗氏に白羽の矢が立った。河端氏は2023年に後任社長に就任すると、新しいサービス「エクシブ投資顧問」を開始し、銘柄発掘力を強化させた。また、運営会社の法人名を「株式会社ストックジャパン」から「株式会社インベストジャパン」に変更した。

老後資金と投資顧問

今の日本で投資顧問が流行している理由は、なんといっても老後資金の問題が大きい。以下の章では、エクシブ投資顧問の配信情報や提言を独自解釈し、リタイア後の投資のあり方を考えていきたい。

老後資金

急速に少子高齢化する日本では、年金や医療、介護など社会保障制度の維持が難しなってきている。これが将来への不安を掻き立てている。「老後資金は1人当たり最低でも2000万円必要」という金融庁発の説は、こうした不安ムードの中で浮上したものだった。

冷静な対応を

最近は、テレビやネットメディアにおいても「老後に不足する分は現役時代に稼ぐか、高利回り金融商品での運用でカバーするしかない」と煽る人が増えた。しかし、いずれにせよ、金融庁が指摘した「2000万円不足」というのは根拠があいまいだ。エクシブ投資顧問も「目標額ありきで、そのための運用手段を考えるのは本末転倒だ」と指摘する。個人投資家には冷静な対応が求められる。

エクシブ投資顧問の助言を借りながら、夫婦で資産運用を考える

3W1H

エクシブ投資顧問によると、老後対策として投資を始めるには「3W1H」が大事だ。

3W1Hとは以下の通り。

リタイア後の「3段階」の支出配分

老後の「3W1H」とは
要素 内容
When 公的年金を除き未収入となる(仕事をしなくなる)完全引退はいつか
Where 老後はどこに住むか
Who 誰または何人で暮らすか
How どのように過ごすか

この3W1Hが明確にならなければ、老後に必要な資金が決まらず、運用方針を打ち出せない。

具体的に考える

それでは、エクシブの資料などに基づいて3W1Hを具体的に考えてみよう。

いつ引退するか

まず重要なのが、いつ引退するか。これによって年金以外の主要な収入が決まるはずだ。

例えば、現在50歳のサラリーマンの場合を考えよう。「60歳の定年退職後、再雇用制度を利用して65歳まで働き引退する」という青写真を描けば、定年退職までの収入や退職金、さらに再雇用されてからの5年間の収入を大まかにでも把握できる。

リタイア後の1日の過ごし方

次に現役引退後の生活をなるべく具体的にイメージしてみることだ。エクシブ投資顧問は「現役時代と引退後の1日の過ごし方、つまり時間の使い方をできるだけ詳しく書いてみるといい」と提案する。

24時間時計

具体的には、1日24時間を円グラフにした「24時間時計」を、現役時代と定年後でそれぞれ作るといいだろう。

サラリーマン時代の平日なら、たとえば6時に起床、朝食や身支度をして8時に自宅を出て9時に出勤。19時前後に帰宅、入浴や夕食。しばらくくつろいで23時ごろ就寝といった具合に、会社(仕事)中心の生活を送っているだろう。

会社がなくなる

定年後は生活の中心に位置していた会社がなくなり、時間がたっぷりできる。このため、毎日の生活を誰とどこで、いかに過ごすかをイメージする必要がある。中には「朝から夕方までフィットネスクラブで過ごす」という健康派もいるだろう。いずれにせよ、昼間の過ごし方が曖昧になればなるほど、必要資金も不明確になる。

夫婦で考える

仮に奥さんとの2人暮らしを考えているなら、夫婦で一緒に考えたほうがいい。夫婦で老後の生活について、それぞれにやりたいことを話し合って、どのように過ごしたいかを確認しておくのはとても重要だ。

終の棲家

どこを終の棲家(ついのすみか)とするかも重要だ。郊外に購入した一戸建てを終の棲家とするか、それを売却して都心部のマンションに引っ越すか。在宅介護か、施設入居か。

それぞれによって、必要経費が変わってくる。また、都心部か、郊外、地方都市と住む場所によっては物価水準も違って生活費にも影響が出る。

60代、70代、80代と年代別に

エクシブ投資顧問によると、引退後の生活設計を立てるにあたっては、60代、70代、80代でわけて考えたほうがいい。

60代は支出が増える

体力面を考えると、60代がもっとも活動的な年代となる。楽しみにしていた海外旅行や絵画、陶芸、山登り、ダンスなどの趣味を実現させる年代だ。

ズンバおばさんの場合

したがって、それに伴い60代は支出が増える。例えばズンバ(Zumba)に熱中するにしても、エクシブ投資顧問のフィットネスサイトによれば、スポーツクラブの月会費(1万数千円)は最低限必要だ。さらに、ズンバサークルに参加するなら、参加費が毎回1000円~2000円かかる。さらにお金がかかるのが、ウエアだ。ズンバの公式ウェアは、シャツでも1着5000円以上する。パンツなら1万円以上かかることも珍しくない。

ラディカルパワーおじさんの場合

一方、ラディカルパワーおじさんの場合はどうだろう。 ラディカルといえば、フィットネスオタクの間では「イマイチ」の代名詞になっている。 むろん、セントラルが独自でやっている御老人向けの「シェイプパンプ」「ファイトアタック」等よりは500倍マシだ。 しかし、レスミルズ(現:レズミルズ)やMOSSA(モッサ)に比べると、 野暮ったい。音源の曲のアレンジもしょぼい。 それでも、ウェアに関しては、MOSSAより良いデザインが多いのは事実。 従って、ラディカルパワーおじさんや、ファイドウおばさんは、 ついつい本物のラディカル製タンクトップを買ってしまう傾向がある。 そうなると、毎月の出費が数千円以上増えることになってしまう。

エナジードリンク

また、フィットネス生活を送るなら、エナジードリンク(栄養飲料)が日々必要になる。 とはいっても、シニア層としては、カフェイン漬けの「モンスター」「レッドブル」などではなく、 「ダカラ」のようなマイルドな飲み物になるだろう。スペインのサッカーチームから生まれた「レアルパワ」もカフェインが入っていないという。

70代以降は交際費が減り、医療費が増える

60代を過ぎて70代以降になると、体力が衰えるため、行動力は落ちる。それに伴い交際費などの出費も少なくなるが、医療費や介護費用がかかる時期となる。

こうした60代以降の支出や出費動向を踏まえると、引退時の金融資産を、以下のように振り分けることが考えられる。

リタイア後の「3段階」の支出配分

年齢 支出配分
60代 45%
70代 30%
80代以降 25%

3段階(3ステージ制)の考え方

上記のように資産全体を3分割で管理・運用していくと、投資計画が立てやすくなる。「引退後は運用しながら使う」という意識が明確になる。そして、各年代に応じて具体的な運用商品を変えるという発想が生まれる。

60代

たとえば、60代用の資金は、生活費以外に近い将来の趣味やスポーツに使うことになる。だから、運用によって手元資金を減らすことはできない。

安全確実に運用され、換金性の高い預貯金や個人向け国債などをメーンにすべきだろう。

70代

逆に70代以降にとっておく資金は、すぐには使わない分だけ換金性はやや劣ってもいい。必要なのは、10~20年先の物価上昇(インフレ)対策である。株式や投資信託、外貨建て商品などがその候補となる。

20年先までの将来を見通せば、円資産だけの運用というのも、リスクかもしれない。

エクシブのアドバイスの出番

3W1Hをなるべく具体的にイメージして、そのために必要な資金額がわかれば、運用を考える段階になる。このときこそ、エクシブ投資顧問のアドバイスが役に立つかも知れない。

エクシブ投資顧問の助言を借りながら、夫婦で資産運用を考える

50代までに株式投資

エクシブによると、老後対策の投資は50代までに始めたほうがいい遅くとも。引退10年前に上記の「3W1H」を決めて、株式での運用を始めるのが理想だ。年金以外に収入源がなくなった段階になってしまうと、リスクをより抑えなければならないからである。引退した後では、どうしても債券を中心とした運用になりかねない。

10~20年先を見据える

退職金はじめ引退時の金融資産を3分割して管理・運用することで、実は70代、80代用の金融資産に関しては60歳からでも10~20年の長期運用ができる。

目標価格で利益確定も

もちろん、長期運用できるといっても、無条件で20年以上も放置するわけにはいかない。株式や投資信託などの金融商品であれば、目標とする価格に上昇した時点で利益を確定させることも視野に入れなければならない。途中から預貯金や債券などの安定運用の商品に切り替えるという手もある。

現役時代にあまり投資経験のない人

とはいえ、金融商品は多種多様である。現役時代にあまり投資経験のない人はどうした点に注意すべきか。投資顧問に詳しいい評論家は「『年金』と名前のつく金融商品には注意が必要」と指摘する。

「年金タイプ」を謳う毎月分配型の投資信託

典型的なのは個人年金や「年金タイプ」を謳う毎月分配型の投資信託。個人年金の運用利回りは1%ほど。経費や保証料がかかることを考えると銀行預金の方がよい。

為替リスクを考慮する

毎月分配型投信は、毎月、分配金がもらえても、外債投資が多いので為替変動の影響を受けやすい。場合によっては元本割れすることもある。こうした為替リスクや運用報酬などを勘案して投資商品は選ぶ必要がある。

商品の中身をしっかり分析するのが重要だ。中身のわからない商品は買ってはいけない。

子供の手が離れる時期が勝負

老後資金を貯める時期は、子供の手が離れる50歳から55歳ぐらいまでが勝負になってくる。

定年退職後も働く術

「サラリーマンを定年退職後も健康で働く術を持つ」というのが老後資金を増やす最良の方法だ。それを少しでも補えるのが運用だ。しかし、絶対に無理をしてはいけない。

まずは老後を過ごすのに必要な資金を想定したうえで、今の自分に適した投資ポートフォリオを考えよう。その際、株式運用の一つの手がかりとして、エクシブ投資顧問が役に立つかも知れない。

エクシブ投資顧問が役に立つかも知れない。

「おしん」復活の時代へ

今こそ、日本経済は「おしん根性」を復活すべき時だ。かつて日本には「おしんの時代」があった。エクシブ投資顧問の河端哲朗代表も「おしん世代」だ。「おしん」とは1982年に放送されたNHKの連続テレビ小説である。月曜から土曜までの毎朝8時15分と、昼の0時45分、日本全国がテレビの前にくぎづけになった。「おしん宰相」(中曽根首相)、「おしん横綱」(隆の里)などが流行した。日本橋三越本店の食堂には大根めしが登場、「おしん経営」を信奉した経営者も多い。

エクシブ河端氏の若手時代

エクシブの河端氏が野村證券の若手社員だった1983年当時の日本経済は、第二次オイルショックを経て、「高成長時代の終焉」というダウナーな雰囲気に包まれていた。国民の目の前には「増税なき財政再建」が突きつけられた。投資業界には出口の見えない閉塞感が充満していた。消費は低迷し、消費飽和説が巷を席巻、国民は“モノ離れ”したといわれた。爆発的なブームや大ヒットの兆候は影をひそめ、アイデア、ネーミングなど一過性の人気に支えられたものが中くらいのヒットを飛ばしていた時代であった。

日本製シンセサイザーやビデオ録画機の躍進

しかし、日本経済は沈没しなかった。1980年代の半ばから末にかけて、さらに世界へと躍進したのである。 ハイテクノロジーを駆使した新しい商品が、日本から外国へ数多く出回るようになった。 ウォークマン、シンセサイザー、CD(コンパクトディスク)、ビデオ録画機が世界市場を席巻した。

海外でも神コンテンツに

そして、これまで家電や機械などの「ハード」が中心だった日本の輸出産品とは異なり、ソフト製品の輸出の大成功例が出現した。 それが、我々の神コンテンツであった「おしん」だった。おしんは全世界で放送され、どこの国でも超高視聴率を稼いだ。 映画「敦煌」は期待外れだったが、「おしん」は爆発的な人気を集めた。 ついでに、ファッションの三宅一生氏も世界で支持された。

日光江戸村の忍者ショー

日本のソフト力の躍進の象徴が、戦国時代をテーマにした「日光江戸村」(栃木県)だった。 乗り物中心の昔風の遊園地ではなく、ひとつのテーマに沿って全体を構成するのが特色。業界では「テーマパーク」と呼ばれた。 1991年には、日光江戸村の中に「大忍者劇場」がオープンした。 550平方メートルの敷地に、総工費10億円をかけたセットで迫力満点の忍者劇が見られるとあって、外国人にも人気を集めた。 インバウンド型施設の先駆けである。2024年のエミー賞を席巻したテレビドラマ「SHOGUN 将軍」のな成功を先読みしていたと言えなくもない。 忍者が舞台いっぱいに派手なアクションをくり広げた。

時代劇を世界へ

ハリウッドの忍者映画スターのショー・コスギ親子も招かれ、村内の忍者との殺陣も披露した。 米国ドラマ「将軍 SHŌGUN」(1980年の初代版)に出演し、エミー賞の助演男優賞にノミネートされた俳優の目黒祐樹氏も1992年、日光江戸村の経営母体である民間企業「大新東」(シダックス系列)の社員になった。 「時代劇」という日本文化の力を欧米やアジアの人々を魅了し、輸出産業に育てるという情熱に駆り立てられたのであった。 時を同じくして、エクシブの河端氏も、まだドメスティックだった野村證券を卒業し、スイス銀行系の外資証券会社へと転身した。

「人本主義経営」

このころ、人を尊重する日本の企業経営が、「人本主義経営」として高い評価を得た。 「ヒューマンキャピタル」として広まった。 その代表例が、野村證券であったことは言うまでもない。 今こそ、日本企業は人本主義経営を武器に、世界へ打って出るべきだ。 それが実現したときこそ、日本株の暴騰の時代がやってくる。 「日経平均30万円」はエミン・ユルマズ氏(野村證券出身)だけの絵空事とは言い切れない。 2024年から始まった時代劇「SHOGUN 将軍」シリーズ(真田広之・共同プロデュース)の大ブームは、日本人の「おしん型快進撃」再来の序章かも知れないのだ。

日本企業「おしん型躍進」の再来